心に残る言葉 その一

私の好きな作家の一人に城山三郎がいる。彼の言葉に「死とは何か」「人生とは何か」などという問いは、実生活においては、何ほどの意味も持たない。死の影を払いのけ、とにかく生活してみること。人生を歩いてみて、はじめてその意味がわかるのではないだろうか。・・・未だに実感できない私だ😵

もう一人、ビクトール・フランクル「夜と霧」の著者の言葉に、人間の主な関心事とは、喜びを得ることでも、痛みを避ける事でもなく、自らの人生に意義を見出だすことなのである。・・・未だに見出だす事が出来ない😵

また、誰の言った言葉か思い出せないが、人生の意味は1つしかない、生きるという行為自体である。・・・平凡な私には、この方が共感できる。😄

最後に、今の自分の全ては、自分のこれまでの思考の結果である。 仏陀

ごもっとも・・・何も言えない!


参照:シニアでも、時には言いたい事がある(高齢者の独り言)
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心配性の私

気が小さいせいか、いつも些細なことで気に病んでしまう。昔から友人が盲腸になれば、自分も盲腸になる心配をして、盲腸の辺りが痛くなるような気がしたり、最近でも、知人が心筋梗塞になって入院したら(無事退院)自分も心配になり心臓の辺りが痛いような気がしたりする。だから、病気自慢の雑談が始まると憂鬱な気持ちになる。さらに手術痕を見せられたりするともういけない。しばらくは、自分も手術したような錯覚に陥ることがある。だから、TVドラマで医者を題材にしたものや検死の場面が多いものは見ないようにしている。それにしても、同年輩の仲間と話していると病気自慢の多いことに感心させられる。心配性の私としては、旅行の話とかグルメの話とか趣味の話とか下ネタとか(これが一番好きかも)が面白いのだが。
更に、事故や事件を扱った特番のような番組は見ないし、暗い物語や怖い物語も全く見ない。したがって、そのようなテーマを扱うワイドショーはほとんど見ない。もちろん明るいニュースや楽しいドラマや可愛い女の子が出る番組は、ときどき見るが。
また、近い将来の事を心配したりする。痴呆になること心配したり(もう始まってるかも😵)寝たきりになるのを心配したり、元気で長生きするとそれはそれで、家計が維持できるのか心配になる。その点妻は楽天的だ。将来の事など分からない事で悩むことはなく、今を楽しんでいるのには頭がさがる。昔から彼女の生き方のお陰で、心配性の私もどれだけ助かっているかわからない。どうか妻より先にお迎えが来ます様に😄

雑談力をつける?

しゃべることが苦手な人間にとって、雑談力を鍛えるという言葉は魅力的だが何冊か本を読んで思うことは、本来おしゃべりすることに抵抗ない人がどのような話題をどのように話すのかとかいうテクニックであることが多く、基本的にしゃべりが苦手な人が雑談力を鍛える方法はなかなか見つからない。言っていることはよくわかるのだが、そもそもしゃべりが苦手な人には参考にならない。相手が男であろうと女であろうと口下手な人間が雑談力を鍛えることは至難の業だ。とは言ってもなにもしなければ物事が前に進まない。手始めにとにかくいろんな分野の本を読み雑学を深めることにした。その中で自分の気に入った内容をまずは手始めに食事のときとかに家族(妻)に話しかけてみた。妻に対してもなかなかうまく内容が伝わらないが、あきらめず話しかけている。TVを見ながら黙って二人で食べるよりは、ましかもしれない。ただし妻は迷惑かもしれないが(笑)それと気が付いたのは、妻のことを関心を持って話をさせるように心がけるようになったことだ。まだ、スムーズにはいかないが気長に続けるしかない。ある本の内容では、女性に人気のある男性は、とにかく相手の話をうなずきながら聞くのが上手いようだ。あまり話の腰を折ったり、したり顔で意見を言うのは嫌われるらしい。今まで気がつかなかったが、妻の話に意見をしたり、ろくに話を聞かなかった自分が恥ずかしい。それとまずは、だれからも出来るだけ話しやすい雰囲気を作ることが大切だろう。しかめ面をせず眼を細くして笑顔になるよう心掛けよう。そのうえで、話しかけられば相手の話をよく聞きうなずき、余裕が出てくればその内容に沿った話題を提供したり、こちらから珍しい話題や面白い出来事を話題に出す努力を継続するよう心がけよう。その為、今は妻を練習相手に頑張って見よう(妻に、少しおかしくなったと思われるかもしれないが)😄


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金づちが泳ぎ始めた

リタイヤ後、刺激を求めてスイミング教室へ行く。刺激を求めてといっても、水着姿の女性を見に行くと言うようなよこしまな刺激でなく、苦手な水泳にチャレンジする事で精神的に刺激やストレスを自分に与えると言うことです。この年まで全く泳げず、海やプールを避けて過ごしてきた私としては一大決心です。平凡に過ごしてきたサラリーマン時代でもそれなりに仕事や人間関係でストレスがあったが、リタイヤ後は、毎日が単調な生活になりこのまま何もしなければ、ボケの進行が早くなると思い通い始める。水泳スクールに入るが、生徒は私以外はすべて同年代?のおばあちゃんが5人ほど。40年前なら喜ぶところだが、お互い胸じゃなくおなかが出ているお年寄りの集まりです。しかし初心者コースなのに、私以外はそこそこ泳げるし結構上手なおばあちゃんもいて、なんで初心者コースに入るの?と思ってしまう。聞けば皆さん数年以上習っているとの事でスクールの内容はすべて知っている。こちらは、顔をつけバタ足の練習からスタート。皆さん親切にいろいろアドバイスしてくれるが、なかなか思うように泳げない。半年ほどしてやっとクロールで25メートル泳ぐのが精いっぱいだ。皆さんからは、ロボットが泳いでいるようなぎこちない泳ぎだと笑われるが、なんともしがたい。それにしても平日のスポーツクラブのプールやジムは8割がたはおばあちゃんやおばさんだ。やはり女性はバイタリティがある。たまに若い女性がプールにいると、思わず視線がそちらに行ってしまうのは、この年になっても男の性(さが)かも?😄

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断捨離を始める

ウィキペディアによると、断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、

断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。ヨーガの行法が元になっている為、単なる片付けとは一線を引く。
と説明されている。


しかし、あまり難しく考えず”断捨離”をスタート!まずは、不要なものを捨てようと始める。両親が亡くなったとき、衣類の整理や日用品の整理、本や写真の整理と結構時間が掛かったことを思い出した。父のスーツはもちろん母の着物も、だれも引き取り手がなく処分した。そのことを思い出し、私の衣類で一番スペースを取っている、来ていないスーツや革靴等を整理する事から始めた。定年後にスーツやワイシャツをすべてクリーニングして大事に保管していたが(無駄な事をしたものだ)古いものから新しいものまで夏服・冬服を合わせると結構な数だ。しかも退職してから全く着ていない。着ているのは冠婚葬祭の礼服だけだ。それもすべて葬祭だ。また、靴も履いているのはウォーキングシューズばかりで、たまに礼服を着て革靴を履くとあれだけなじんでいた革靴が歩きにくい。一大決心(少しオーバーかも)をしてすべて破棄しようと思ったが、それでも愛着のある夏物・冬物がそれぞれ2着はまだ捨てられない。ワイシャツやネクタイも同様だ。おそらく、残したスーツも着ないだろうとわかっていてもなぜか捨てられない。簡単に思えた断捨離がいかに難しいかを痛感する。

次にチャレンジしたのは私の蔵書だ、約700冊のビジネス書から趣味の本まで多種にわたるが、やはり愛読書や高い美術書はなかなか捨てられない。結局30冊ほど残してしまった。あとは業者に引き取ってもらったが、わずか数千円だ。でも自分で処分すれば大変な重労働だ・・・と思い納得した。おかげで、本棚も3架捨てることが出来て狭い部屋が広くなった。でも残した本も結局は読まないだろうと思うと、まだまだ道は遠い。

次は、写真やVHSのビデオだ。それこそ整理せずにただ箱に置いているだけで、古い写真は数十年見ていないし、VHSで記録した家族のビデオ等もブルーレイデスクに替えてしまい見ることが出来ない。おそらく私が亡くなったら整理するのに困るだろうと思い、ビデオは荒ごみで処分したが、写真はまだ処分できないでいる。これも家族写真以外は、だれも興味のないものなので少し時間をかけて整理し破棄する予定だ(優柔不断)

次は昔集めた切手やコイン・紙幣だが、これは業者に持って行ったが、二束三文で話にならないのでコインとか紙幣に興味がある知人にあげたのであとは彼が適当に整理するだろう(他人任せ)

また、ゴルフも数年前から行かなくなったので、社会人になった甥が欲しいというのでプレゼントした(捨てるより役立つのはうれしい)

でも始めたは良いが、不要なものを捨てるのも想像以上に難しい。

あと「断」・「離」だが、特に「離」・・・物への執着から離れるは、私にとって一番難しいと思っている。でも、現時点ではまだ中途半端な状態だが引き続き元気なうちに「断捨離」を続けて行こうと思っている✌

 

追伸:妻にも「断捨離」の事を話したが、私のことは構わないでほっといて!・・・と言われてしまった😵でも、着てない衣類だけでも比べ物にならないくらあると思うのだが😄



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人工知能に負けないぞ!

今や新聞紙上でも人工知能(AI)の話題で一杯だ。言葉を知っていても、今一つよく分からない。コンピューターが人間の脳の代わりをすることなのか?既に、計算することや記憶することはもう人間は太刀打ちできないしチェスやクイズ、囲碁や将棋で人間に勝ったような事を言っていた。

最近は自動運転や顔などの認識技術もすごいらしい。また翻訳や大学の試験に受かるロボットも出てきたりしているようだ。いろんな企業で自動化が進んでいるが、まだ人間の指示なしで状況を判断して動くようなものは出てきていないようだ。もちろん、人間も指示がないと動かない者もいるが。

でも、2045年には全人類の知性を超える人工知能が出来て、そこからは人間を凌駕してしまう時代が来ると予測している人(レイ・カーツワイルとかいう人)がいるらしい。一方で女性が得意としている雑談はまだまだコンピューターにはできないらしい。コンピューターが人間と会話できるテストをチューリング・テストというらしいがなかなか女性しているようなとりとめのない会話はまだできないようだ。特定のテーマや質問に答えるのであれば現在の人工知能はお手の物だが。

また、ある特定の人や物を多数の人や物の中から選別するのは得意だが、単純に猫と犬を認識するのは苦手らしい。この年では、近い将来人工知能に取って代わるかもしれないパイロットや弁護士や金融のアナリストなどの専門職になることのない小生にとっては、人工知能など全く怖くない存在だ。まだまだ雑談ではコンピューターにまけないぞ!と思っている😄

でも、孫の時代のことを考えると、少し心配になってくる。



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墓場まで競争!

お前たちは、墓に入るまで競争だ!

高校時代の担任の先生が言った言葉が忘れられない。当時進学校で落ちこぼれだった私にもなぜか印象に残る言葉だった。クラスでは、出来る生徒は出来る生徒同士で、落ちこぼれは落ちこぼれは同士で競争だった。病気で休んだりするとニンマリするやつも少なからずいた。出来るものはノートの貸し借りはしてくれず、落ちこぼれには目もくれず、受験科目にない授業は興味ないような状況だった。落ちこぼれは落ちこぼれで競争し、何とか入れる大学を探し潜り込むことを考えていた。

すし詰めの教室で受験戦争をなんとか乗り越え、大学に入学してからは一部の学生は学生運動にのめり込み、私のような問題意識のない学生は遊び惚けていた。しかし、いざ就職となると、レベルは違ってもまた競争だ。できる学生は当時の一流企業を目指し就職活動をし、遊び惚けた者もそれでも就職はしないといけないので必死に入れる会社を探し、違うレベルで競争しながら就職をした。

幸いなことに、日本は高度成長期だったので企業の質は別として競争はあったにしてもどこかに就職できる時代だった。しかし入った会社でも同期が多いので、同年代とポジションの競争しながら働き、バブルが終わると今度はリストラされないように競争し、恐怖におびえながら何とか定年まで勤め終えたのが団塊の世代ではなかろうか。

気が付けばいつのまにか還暦を迎え退職し、今度は介護施設のお世話になるころは、また施設に入る為の競争だ。そして最後に墓場へ行くときも競争だ。今でも都会ではすぐに焼場へ行けず何日か待たされる状況だ。団塊の世代が焼場に行く時期には、今以上に待たされる状況になるだろう。そして墓場への競争が終わり、やっと団塊の世代の競争も終了だ。

正直今はまだ元気だが、いつ体調が悪くなったりボケたりするか分からない。その時、介護施設に行く為の競争に耐えられるか不安になってしまう。

妻には悪いが、先にボケた方が楽かも知れない😄


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追伸:孫達の時代は少子化団塊世代のような人との競争は少ないかも知れないが人工知能の進歩により、多くの職種は人工知能によって不要になり、人工知能を創造する人間と人工知能でやるにはコストがかかる低生産の職種での競争になるかもしれない。